礼拝メッセージ(2018年8月12日)

「神の約束を歩む人生の旅人」

聖書・創世記:23章1節~20節

林 健一 牧師

聖書・創世記:23章2節 サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
故郷カルデアの地ウルを出発して、各地を転々とし、苦楽を共にしてきた妻サラが死にました。年老いて与えられた息子イサクがまだ結婚もしていないというのに、妻のサラは、その一生を終えました。
愛する妻サラの死にアブラハムは深く嘆き悲しみます。そして彼女をヘト人の土地にあるマクペラの洞穴に葬りたいと思い、その洞穴を買い取るためにヘト人のところに行きました。アブラハムは正当な代価を支払ってそこを所有することを願い、そのとおりにしてマムレに面するマクペラの洞穴があるエフロンの畑地を購入します。エフロンは高値で吹っかけたようですが(聖書・創世記:23章15節)、アブラハムは争う様子もなく、あくまで神妙です。妻の死を迎えたこの聖書・創世記:23章は、全体が何か厳かな、人生の一区切りを厳然と主張する静けさに満ちています。聖書は主張します。
「悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。」(聖書・伝道の書7章2節)
愛する者の死を迎え、自らの生き死にや、生かされている意味やいのちを握りしめているお方を意識する時が与えられるのではないでしょうか。慌ただしく動いていたときの流れが妻サラの死と同時に止まり、アブラハムはひとり、否応なく神様の前に立たせられたのです。神と自分、死を介して、厳かに一対一で相対する人生で特別な時間帯なのです。また同時に神様だけがいつまでもどこまでも人の前に立ち続けてくださるお方なのだと神様の愛と恵みを体験する時でもあるのです。
アブラハムは最愛の妻サラとの別れによってただ一人神様の前に立たされることによって、あらためて自分は神様の約束によって人生を歩まされている寄留者であることを知ったのではないでしょうか。サラが葬られた洞穴の場所である「マムレ」は聖書・創世記:18章でイサクが生まれることを知らされて、「サラが笑った」その場所でした。アブラハムはサラの思いでと共に失った悲しみ、そして神様がなしてくださった約束の実現を噛みしめて再び歩み出していったのだと思います。
私たちも、この地上において人生における様々な出来事を経験しますがアブラハムのように神様の約束に歩む人生の旅人として、神の国を目指して歩んでいきたいと願います。