礼拝メッセージ(2019年10月20日)

『 嘆き祈る声に 』 詩編130:1~8  牧師 森淳一(高崎キリスト教会)

1. はじめに(ご挨拶)
 今朝は、きたかん相互訪問のプログラムで、太田教会の礼拝にご一緒させていただき、ありがとうございます。太田教会の皆さまとのお交わりが益々豊かなものとなればと願います。相互訪問の恵みは幾つもあると思いますが、その1つは、お互いの教会の牧師だけが行き来する、いわゆる「交換講壇」と呼ばれる企画ではなく、牧師と複数の教会員が参加するプログラムであることです。お互いの教会をよく知るためには、1人ではなく、みんなで交わりを持つことが大切でしょう。さらに相互訪問の恵みは「自分」をよく知る機会を与えられることです。他者と交わるときに、人はもっとも自分を知ることができます。これまでの相互訪問の経験からも、他の教会に行くことで自らを振り返るような、新鮮な気づきを与えられました。今日、太田教会を訪問することで、どのような新しい“出会い”が待っているのか?…、楽しみです。よろしくお願いします。

2.「詩編」が持つ豊かな信仰の言葉
 「詩編」には、実に豊かな信仰の言葉が納められています。その言葉の方向は、神さまから人に向けて語られた言葉ではありませんが、神さまに向き合う人間の応答の言葉が豊かに語られているでしょう。私たちには、人(信仰者)として感じる様々な思いがあります。喜びがあります。悲しみもあります。感謝や、驚きや、怒りや、嘆きなどもあるでしょう。そのいろいろな思いに寄り添うために、「詩編」には実に様々な言葉が納められているのかもしれません。私たちは「詩編」を読んでいく中で、「詩編」の信仰者が捉えてきた神さまの姿(思い)を、何か、受けることもできるでしょう。その「詩編」の信仰者の思いと、自分の思いとを重ねて、それぞれの信仰の思いを表現することもできるでしょう。私たちは「詩編」の言葉に助けられて(導かれて)、それぞれ自分の信仰の応答を神さまにささげていることもあるのではないでしょうか。

3.人間の「罪」の問題をテーマに
 今朝の宣教は「詩編」130編から、特に1節と2節の言葉に注目して、人間の「罪」の問題をテーマに、「詩編」の作者の思いを想像し、神さまからの語りかけを受けていくことができればと思います。この詩の作者は「深い淵の底から」(1節)神さまに呼びかけています。「深い淵の底」という言葉からも、この作者の置かれている状況は厳しいもののように感じます。そして、その厳しい状況は作者に関わる「罪」の問題に原因があるようです(3節)。まことに深刻な罪の問題は、誰にも語ることのできないものでもあるでしょう。「主よ、あなたを呼びます」との、この「詩編」の言葉に、私たち人間が「罪」とどう向き合うことができるのか? 「詩編」の言葉から考えてみたいと思います。