礼拝メッセージ(2019年11月10日)

『 主を待つ喜び 』 詩編33:20~22  I師(百合丘キリスト教会)

  私たちは神さまに造られ、神さまに属していて、その神さまが私たちを愛してくださっています。ですから神さまは私たちにとって、生きる   頼り、信頼に値する方であり、病との闘いにも、迫害にも、貧困にも、 疎外されることにも、災害に遭うかもしれないけれど、でも神さまは必ず良いものを用意してくださっているのだという確信、それを待つことが大切です。
その先には必ず神さまの良いご計画があることを、確信し、信頼するのです。
プレゼントが用意されているのです。
主は素晴らしい方ですから、どんな時にも良いことをして下さると、信じる。
主は必ず目的を持っておられるお方なのですから。
 困難を通過して、初めて神の力が分かることがあります。なかなか辛抱のない私たちは、神さまが必ず将来備えてくださる「喜び」を待ち続けることはとても難しいことです。でも、この詩編の作者は「我らの魂は主を待つ」と言っているのです。
 私たちは、この詩を書いた作者の信仰の、その驚くべき感性を大いに学びたいと思います。自分自身の心は取り乱れてしまい、試練の中でどうしていいか混乱していたとしても、「魂」は、主を待つのです。
「わたしの心は主を待つ」のではないのです。
「魂は主を待つ」のです。
表面的な心ではなくて、そのもっと奥にある本能的なもの、それが魂ではないでしょうか。自分でも気がついていないような、深いところにあるもの。
これこそ神さまが造られ、支配されておられる、それが「魂」なのです。

「主よ、あなたの慈しみが、我らの上にあるように。
 主を待ち望む我らの上に。」(22)