礼拝メッセージ(2019年12月1日)

『 あなたの救いを見た 』 ルカによる福音書 2章:25~32節  林健一 牧師

アドヴェント(待降節)について
 本日から教会はアドヴェント(待降節)に入ります。待降節は文字通り救い主イエス・キリストの誕生を待ち望む準備の期間です。そもそもアドヴェントという語ですが到来を意味するラテン語アドヴェントゥスに(adventus)に由来します。今日からイエス・キリストの誕生された25日のクリスマスまで教会は厳粛な思いでキリストを待ち望む時を過ごすのです。では教会はなぜ毎年クリスマスをするのでしょうか。それは神さまがこの世界にひとり子イエス・キリストを与えてくださったこと(事実)をお祝いするためです。しかし、もう一つ教会が知らなければならない隠された事実があります。それはキリストの再臨を待ち望むということです。旧約にはメシア(救い主)を神さまが送ってくださることが約束されています。そして新約には十字架の死から復活されたキリストが再び栄光の王としてこの世界に悪を完全に裁くために来られるという神さまの約束が記されています。教会は神さまから与えられたこの約束に希望を抱いてこの時を過ごすのです。
真の救い主に出会う人生の喜び
 シメオンは宮参りのために神殿に来られた赤ん坊の御子イエス様に出会って、「この方こそ、自分が神の約束に基づいて待ち望んでいた救い主である」ということを告白した人物でした。今日読んだ聖書箇所でシメオンはこういう人物であったことが記されています。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。
2:26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。

 シメオンは神さまに希望を抱いていた人でした。イエス様の生れた時代はローマ帝国にイスラエルが支配されていた時代でした。時代は変わってもイスラエルが置かれた状況はイザヤが預言した時代と変わらず苦悩の暗闇にありました。しかし、シメオンは「イスラエルの慰められるのを待ち望んで」いた人でした。神さまの約束に生き続けてきた人でした。シメオンを通して神さまが私たちに与えておられる人生の目的と意味を知ることができます。神さまの救いを受け、神さまの救いの中で生きていく、歩んでいくということです。私たちの魂を押し込めているこの世の価値や在り方から私たちを解放し、神さまのご支配と恵みのなかで新しく生きていく、そのことを求め続けていくということであります。依然としてこの世は私たちを縛り続けます。お前が持っているものを失えばすべてが終わりだという恐れを与え続けて私たちを絶望の中に突き落とします。しかし、シメオンが御子救い主イエス様をまえにして見ることができたのは
2:31 これは万民のために整えてくださった救いで、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」

 すべてを照らす真の光であり、この世のすべてを失ってもこの方をとおして与えられる真の恵みを見たのです。私たちの人生に終わりはありません。救い主イエス様を見るとき私たちは確かな希望を見ることができるのです。アドヴェント第一週のこの時神さまが与えてくださる預言のキャンドルである「希望」を見て救い主イエス・キリストの到来を待ち望みたいと思います。