礼拝メッセージ(2019年12月8日)

『 反対を受けるしるし 』 ルカによる福音書 2章:33~35節  林健一 牧師

平和について
 アドヴェント第二週を迎えました。アドヴェントクランツに2本目のキャンドルに灯りが燈されました。2本目のキャンドルは「天使のキャンドル」と呼ばれ「平和」を表しています。救い主イエス・キリストの誕生を羊飼いたちに天使が告げたとき天使たちは賛美をしました。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2・14)
イエス(主は救い)様がこの世界に平和をもたらしてくださるお方であり、このお方だけが唯一平和を与え得ることができるお方なのです。
 イスラエルの人々は旧約の時代から平和を渇望し祈り求めてきました。詩篇122編6節「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように」同じく8節「わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。『あなたのうちに平和があるように』」。
 私たちが生きているこの世界には平和がない。真の平和、永遠に続くことゆるぎない平和が欲しいとイスラエルの人々は祈り願い続けてきました。常に大国の争いに巻き込まれていくなかにあってイスラエルの人々は自分たちが平和をつくり出していくことはできないと気づかされました。人間は欲望と不信のなかで、いやそれを持って生きている存在である。それゆえ人間の歴史とは自分の手にあらゆるものを独占したい、独占できなければ戦ってでも手に入れるという歴史でした。それは聖書が語っている人間の罪の歴史でもあるのです。
私たちの心の根にある罪深さ
 国々の争いと権力者による圧制のなかでイスラエルの人々はようやく悟ったのです。平和(シャローム)は神さまがつくるものであり神さまこそ平和の根源であることを。ヨブ25・2「恐るべき支配の力を御もとにそなえ 天の最も高いところに平和を打ち立てられる」
 私たちは自分が争いのなかにいるときは平和の必要性、大切さに気づきません。争いによって傷つき悲しみ苦しむときに平和がどんなにか大切であり、必要であるかに気づくことができるのです。日常のなかで起こる家庭でのいさかい、職場でのパワハラ、いじめ、子どもへの虐待など痛ましい事件がニュースで報道されています。渦中のなかにいる人たち、特に加害者と言われる人たちは自分が何をしているのかわかっていないのだと思います。イエス様が十字架につけた兵士たちのために祈った
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ22・34)
イエス様の祈りなくして私たち人間は憎しみ、争いから解放されることはないのです。どこまでいっても人間は罪深い存在で神さまの愛と憐れみなくしては救われることのない存在であることを教えられます。
反対を受けるしるしであるイエス様
 幼子イエス様とヨセフとマリアを祝福したシメオンはマリアに言います。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」神さまが平和をもたらすために来られたことに対しての敵意、反感があらわにされることを意味しています。しかし、それは同時に私たちが持っている敵意、反感を十字架によって打ち砕くことを意味しているのです。救い主イエス様によってこの世界における敵意、憎しみが打ち砕かれていることを私たちは知りたいと思います。