礼拝メッセージ(2020年2月2日)

『 どうすればよいのですか 』  ルカによる福音書 3章:10~14節  林健一 牧師

スチュワードシップ
 持っているものの価値を知るか、知らないかで用い方は大きく変わっていきます。バプテスト教会は「スチュワードシップ」を教会形成の一つとしてきました。「スチュワード」とは「管理者」という意味です。聖書に「人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画を委ねられた管理者と考えるべきです」(コリント一4・1)、「あなたがたはそれそれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(ペトロ一4・10)と神さまから私たちが賜物をいただいた恵みと善い管理者になることを神さまが求めておられることがわかります。「善い管理者」になる第一歩に、私は神さまからどのような賜物をいただいているかを知ることから始まると思います。同時に必要のない、反対に私たちに余計な重荷となっているものを手放すことが大切です。
自分たちにも
 私はヨハネ4章に登場するイエス様とサマリアの女の会話を思い起こします。イエス様は「もしあなたが、神の賜物を知っており、…『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるかを知っていたなら …あなたの方からその人に頼んだであろう」(4・10)。神さまから私に与えられている賜物がどんなに素晴らしいものだと知っていたら、もっとイエス様にくださいと懇願するのではないでしょうか。
 先週は、洗礼者ヨハネの説教を一緒に聴きました。神の裁きと悔い改めを迫る厳しい説教でした。ヨハネの説教を聞いた人たちはどう反応したでしょうか?三つの立場の人たちの反応が書かれています。
3:10 そこで群衆は、「では、わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。/3:12 徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。/3:14 兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。
 彼らは「何を行えば、私たちはふさわしい実を結ぶことができるのですか」と問いました。「悔い改めなさい」という神さまからのメッセージに彼らは答えなければならないと心に神さまの迫りを受けたのです。当時、清めの中心は神殿でした。しかし、ほとんどの人たちはその日の生活をするだけが精一杯で神殿に行くことができませんでした。洗礼者ヨハネのメッセージは自分たちも悔い改めるなら神の国に入ることができるのだと希望のメッセージとなったのです。
悔い改めの実を結ぶ生き方
 洗礼者ヨハネは、彼らの問いかけに対してこう答えます。
3:11 ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。/3:13 ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。/3:14ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
 ヨハネは、罪の贖いにかくかくの犠牲を献げなさいというのでもなく、何か禁欲的な生活をはじめ難行苦行を積むようということをここで言ったのではありません。「悔い改め」神の視点、神さまが見ている低みに立って歩みなさい。と神さまの愛と正義をあらわす生活をおくりなさい。と言われました。ヨハネの答えから私たちが現代においてキリスト者がこの世で証ししていく示唆を見ることができます。
 イスラエルに与えられた旧約聖書の律法はただ神さまからの命令が書かれているのではありません。神さまの具体的な恵みと祝福が律法にはあらわされているのです。それを感謝し理解して行う時、神さまの愛の業が信じる者たち共同体に祝福と流れていくのです。私たちが神さまの戒めを行うには神さまの愛が必要なのです。「悔い改めの実を結ぶ生き方」とは常に神さまの愛が私たちに伴っていなければできないことなのです。神さまの赦しと愛の中で私たちも「悔い改めの実を結ぶ生き方」が出来るのです。