礼拝メッセージ(2020年2月9日)

『 彼がメシアではないか 』  ルカによる福音書 3章:15~20節  林健一 牧師

スチュワードシップ 与えられたものを大切に
 先日、私のところに神学生時代に奉仕していた長住バプテスト教会の50周年記念誌が送られてきました。神学生一年目に奉仕した教会でした。最初の主日礼拝に緊張して出席したことを覚えています。神学部を卒業して10年以上経った今でも、毎年奉仕神学生だった皆さんへ長住教会からクリスマスカードが届けられるのです。長住教会との出会いは神様が私に与えてくださった財産・スチュワードシップなのです。スチュワードシップ(善き管理者)私たちの人生に与えられた神様の出会いに気づくこともスチュワードシップとして大切なことだと思います。
ヨハネが示したメシア
 今日まで読んできた洗礼者ヨハネの説教も最後になります。神様からの言葉をいただいた洗礼者ヨハネはイスラエルの人々に悔い改めのバプテスマを語りました。洗礼者ヨハネの力強い言葉に人々は「この人がもしかするとメシア、待ち望んでいた救い主」と心のなかで思い巡らしていました。ヨハネは人々の心のなかにある思いを知り私はメシアではないとはっきりと宣言するのです。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。(3・16) わたしよりも優れた方が来られる。と「優れた」とを岩波訳では「強い者」と訳しています。この「強い者」とは愛と謙遜と柔和さにおいても「強い者」ということでもあります。「柔和」の本来の意味は、卑しい、抑圧された奴隷状態にあることを示し、転じて、自分を神の貧しいしもべと見なし、神の意志に完全に服従し、隣人に対しても怒りや傲慢な思いを抱かない状態を指します。ヨハネが示したメシアは私たちに対する愛において「強い者」という意味なのです。
この方の圧倒的な恵みに満たされる
 私たち人間への圧倒的な愛をもってこられるお方、このような方がいま私たちと共にいてくださるということはなんと素晴らしいことでしょうか。ヨハネはこのお方がやがてはイスラエルの人々を「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(16)のだといいます。
 ヨハネは、自分は「その方の履物のひもを解く値打ちもない。」(16)と自分と来るべきお方との圧倒的な違いを言いました。当時のユダヤでは、履物のひもを解く、ぬがせる仕事は奴隷以下の人たちがする仕事、異邦人の奴隷がする最低の仕事であると見なされていました。だからイエス様が弟子たちの足を洗う場面ではペトロはそのようなことを師であるお方にさせるわけにはいかないと拒否しました。ヨハネは当時の人々がもっていた価値観をだして来るべきお方が天から来られるお方だと示されたのです。 ヨハネはそのような天から来られた方であるにもかかわらず塵に等しい人間である私たちに「聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」お方であると示しました。ヨハネは自分は水で洗礼を授けた。と言います。「洗礼」とはいろいろありますが、一つの恵みとして「浸す」ということがあります。この「浸す」ということは私たちをいままで取り巻いていたものから新たなものへの転換という意味があるのです。イエス様は「聖霊と火の洗礼」によって私たちを神様の国へと移し出してくださるのです。神様は信じる者に御自分の霊を注いでくださって私たちの信仰を豊かに、かつ力強く歩むことができるようにしてくださるのです。私たちは毎週礼拝で神様との出会いおいて注がれ、与えられる聖霊の満たしをいただいて今週の歩みにふみ出していきたいと思います。