礼拝メッセージ(2021年1月17日)

『 実を結ぶ人たち 』 ルカによる福音書 8章:4~8節、11~15節  林健一 牧師

 「種を蒔く人」のたとえをイエスさまが語られた後、8節後半ですが、「『聞く耳のある者は聞きなさい』と大声で言われた。「大声で」。それも「言われた」というのは、″繰り返し言い続けておられた″とう言い回しです。いかにこのたとえ話が非常に大事な教えであるとイエス御自身が自覚してお教えになったかということが分かります。このことを心にとめて、今日は、″たとえ″そのものと、イエスさまのたとえの解説を一緒に学びたいと思います。 

 5節から8節前半での「種を蒔く人」のたとえの意味をイエスさまは弟子たちに教えます。

 種を蒔く人が蒔いている種とは、11節の説明にあるように、神の言葉です。神様のみ言葉という種が蒔かれます。「種を蒔く人」はイエスさまのことです。父なる神さまから神の言葉を託されたイエスさまは種を蒔いていくわけです。ある種は道端に落ち、ほかの種は岩地に落ち、茨の中に落ちました。種は同じところに蒔かれるのでなくいろいろな土地に蒔かれるのです。これは神の言葉である種がすべての土地、どんな人にも蒔かれることを指しているのです。

 それぞれの土地に蒔かれた種がどうなるのか。道端に蒔かれた種は人に踏みつけられて、空の鳥が食べてしまった。石地に落ちた種は、芽は出たが根をのばすことができずに枯れてしまった。
 茨の中に落ちた種は、芽は出たのに一緒に伸びた茨にふさがれてしまい成長することができませんでした。最後にでてくる種は良い土地に落ちます。やがて芽が生え育ち、100倍の実を結んだ。同じ種でも結果は違ったということです。

 今日は良い土地に注目したいと思います。イエスさま良い土地に落ちたのは「立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである」(ルカ8:15)と言われました。神の言葉を立派な善い心で聞き、よく守り、忍耐するならばその人は必ず実を結ぶとイエスさまは語ります。ここでは神の言葉を正しく受け取ることの大切さを語っています。種が芽を出して育育ち実を結ぶため、良い土壌と手間ひまが必要です。神の言葉を聞く者たちも「正しい善い心」と「忍耐」が必要であると言われます。