1月13日(水)祈祷会

マタイによる福音書5章17~20節 「わたしが来たのは…廃止するためにではなく、完成するためである」マタイ5:17

・イエスさまは、今日の聖書箇所でご自分が来られた目的について語られます。私が来たのは「律法や預言者」を廃止するために来たのではなく逆に完成するために来たのである。「完成」は「成就」とも訳されます。「満たすために」という意味もあります。イエスさまはこの地上に神さまの義と恵みを完成させ、私たちの間に神さまの義と恵みを満たすために来られました。

・「律法」はヘブライ語で「トーラー」と言い、「神のみおしえ」を意味します。出エジプト記で奴隷であったイスラエルの民を救われた神さまは神の民として生きるために「トーラー」を与えられました。イスラエルの民のなかに神さまの義と恵みを満たし、表すためでした。しかし、イスラエルの民はもとより人間には「神のみおしえ」を満たすことも、完成させることもできません。なぜなら人間には罪があります。「神のみおしえ」には従いたくない、自分の正義のみを完成させたいという思いがあります。

・私たちにはそれぞれの「正義」があります。しかし、だれ一人として完全な正義を持っていません。ですから私たちの間には正義をもって傷つけ、血を流してきた歴史があります。これが人間の歴史です。

・若い世代に人気のバンドグループ「世界の終わり」の歌に「Dragon Night」があります。その歌詞には

「人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね。」

・人間の現実を歌っている歌詞と本音に若い世代は「共感」をおぼえるのだと思います。律法を懸命に守ろうとし、自分の正しさで神さまに受け入れてもらおうとする姿は神さまのまえには虚しく、哀れなものとして映っているのかもしれません。だからこそイエスさまは言われるのです。私だけがあなたのなかに神さまの義と恵みを完成させることのできる唯一の存在である。私たちは自分の正義に頼るのでなく神さまの義と愛にただすがる者として立たせていただきたいと祈り願います。