礼拝メッセージ(2021年6月20日)

『 命こそ宝 』  ヨハネの手紙Ⅰ 4章:18節~21節     林健一 牧師

 本日は「沖縄(命どぅ宝)の日」を覚えて礼拝を捧げています。1945年6月23日。第二次世界大戦時、地上戦が行われてしまった沖縄で、日本軍を率いていたリーダーたちが自決し、軍としての組織的戦争が終わった日とされています。沖縄戦に巻き込まれて亡くなった沖縄の人たちの命、そして沖縄戦で亡くなったすべての人たちを覚える日として、女性連合は2007年度からこの日を「沖縄(命どぅ宝)の日」として大切にしてきました。私たち太田キリスト教会も連帯して心を合わせて共に祈りを捧げています。

 「命どぅ宝」の意味について知っていきたいと思います。「ぬち=命」生命は何よりも大切なもの、命こそが尊い一番大事な宝である。命を粗末にするな。という意味です。今、この時を「生きている」。どんな状況であれ…今ここに自分が生きている。

「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(ヨハネⅠ4:8)
 ヘブライ語でいうと「アーハヴでなければ神はわかりません。なぜなら神はアーハヴだからです」つまり「神の建てる家、神の国を見つめない者に神はわかりません。なぜなら神さまは神の国を見ておられるからです」となります。なぜ、このとき私たちは「沖縄(命どぅ宝)の日」を覚えて礼拝を捧げるのでしょうか?二度とこういう悲惨な戦争が起きないように平和をつくり出す働きを進めていくため、いや、それ以上に私たちが何を見ていま人生を歩んでいるか、命を生きているかを見直していく、いや見直さなければならないためでもあると私は思うのです。

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」(ヨハネⅠ4:18前半)
 神さまの愛の中に生きる私たちには恐れがありません。なぜなら私たちの主であるイエス・キリストを死から、絶望から復活、希望へと変えてくださった父なる神さまの愛がイエス・キリストを信じる私たちの内にもあると信じ確信しているからです。もはや私たちが必死になって生きるのでなく神さまが命を輝かしてくださることを知るのです。「命こそ宝」私たちが神さまの命の中を生かされている、この恵みに生かされていきたいと願います。