礼拝メッセージ(2022年9月4日)
『 救いがこの家を訪れた 』
  林健一 牧師 
ルカによる福音書 19章:1節~10節

19章 01節:イエスはエリコに入り、町を通っておられた。

19章 02節:そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。

19章 03節:イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。

19章 04節:それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。

19章 05節:イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」

19章 06節:ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。

19章 07節:これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」

19章 08節:しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

19章 09節:イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。

19章 10節:人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

ルカによる福音書 19章:1節~10節(新共同訳)

 

 イエスさまがエリコの町に入られました。先週、町の門のところで物乞いをしてた盲人が、イエスさまによって目が見えるようにしていただいたという出来事がありましたが、その元盲人も一緒にイエスさまについて行ったものと思います。そのエリコの町にいたのがザアカイという人です。彼は「徴税人の頭で金持ちであった」と2節に書かれています。徴税人というのは、もう何度も出てきましたが、ユダヤを支配しているローマ帝国のために税金を徴収する人です。


 そのエリコの町にイエスさまと弟子たちが入ってきました。「この人こそキリストではないか?」と噂されていたイエスさまです。大勢の人がイエスさまを見ようと集まってきたに違いありません。そしてザアカイもイエスさまを見たいと思いました。ところが、3節に書かれているように、「背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった」と書かれています。しかしザアカイはあきらめなかった。走って先回りし、いちじく桑の木に登ったというのです。


 ところがそこに通りかかったイエスさまが、木の上のザアカイを見上げて声をおかけになったのです。「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。驚きです。初めて見るイエスさまから「ザアカイ」と名前を呼ばれ、声をかけられた。ザアカイはイエスさまを初めて見たのですが、イエスさまはザアカイのことを知っておられたのです。このことから、私たちのこともイエスさまはご存じであるということができます。


 ザアカイは、おそらくイエスさまたちを招いての食事での席でのことでしょう、立ち上がってイエスさまに申し上げました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かからだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(8節)ザアカイは、イエスさまからそうしなさいと言われたわけではありません。誰からいわれたわけでもないのに、そのように決心したんです。イエスさまが来られたことによって、そのイエスさまを受け入れたことによって、彼は変えられたんです。


 するとイエスさまがおっしゃいました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」アブラハムというのは、イスラエル人の先祖です。このザアカイだって同じアブラハムの子孫であると言うことです。どんなに悪い人であっても、同じ人間だと言い換えても良いでしょう。そして「失われたもの」というのは、神さまのもとを離れてしまった人ということです。あの百匹の羊のたとえ話のように。イエスさまは、神さまのもとを離れて行ってしまった人を放っておかれないのです。あの羊飼いが、1ぴきの羊をどこまでも捜していくように、神さまの所を離れて行ってしまった人を、どこまでもさがし、追いかけてこられるお方です。