礼拝メッセージ(2023年11月12日)
『 金持ちの青年と子供 』
石井努 牧師
マルコによる福音書 10章:13節~27節

13:マルコによる福音書/ 10章 13節
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。
14:マルコによる福音書/ 10章 14節
しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
15:マルコによる福音書/ 10章 15節
はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
16:マルコによる福音書/ 10章 16節
そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
17:マルコによる福音書/ 10章 17節
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
18:マルコによる福音書/ 10章 18節
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。
19:マルコによる福音書/ 10章 19節
『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」
20:マルコによる福音書/ 10章 20節
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

21:マルコによる福音書/ 10章 21節
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
22:マルコによる福音書/ 10章 22節
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
23:マルコによる福音書/ 10章 23節
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
24:マルコによる福音書/ 10章 24節
弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
25:マルコによる福音書/ 10章 25節
金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
26:マルコによる福音書/ 10章 26節
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
27:マルコによる福音書/ 10章 27節
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」

マルコによる福音書 10章:13節~27節(新共同訳聖書)

     

ある金持ちの青年がイエス様に、しかも、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」その問いにイエス様はお答えになりました。19『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」 20すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。 聞けば、この青年のこれまでは、咎められるようなことは何一つなかったようにも読むことが出来ます。けれど、この青年には、そのような日々を送りながらも「永遠の命を受け継ぐ」という確信はなかったのでしょう。彼の返事に、イエス様は感心したようです。 私たちが聞いていても「すごいね、そんな風に生きられたら良いのに」と共感するかもしれません。しかし、イエス様は「これからもそのように生きなさい。とは言われなかったのです。


イエス様のご命令は、「行って持っているものを売り払い」に始まって「それから、わたしに従いなさい」で閉じられています。彼が行ってと命じられたところは、この世における自分の生活の場で、わたしに従いなさいというその場所が神の働かれる福音の場所なのでしょう。わたしはこのように解釈するのです。この青年が住んでいるところに持っていると思っている地位も財産も行いも、神が下さった賜物なのです。ですから、その一つ一つは神が与えたものなのです。けっして独り占めして良いものではないのです。そこにこの青年が気付いたなら、売り払って貧しい人々に施すという意味も理解できたのではないかと思うのです。


イエス様は弟子たちにきっとこう教えたかったに違いありません。


イエス様の言われる「永遠の命を得る」こと、また「神の国」に入るための資格などはないのです。まず、自分は弱く、貧しい者だと知ること。手にあるすべては、神からいただいた賜物であると自覚すること。神の国は、律法を守っているからとか、善い行いをしているからとか、ましてや富や権力がないと入れない。そのようなところではない。イエス様を主と仰ぐ者は、時に大きな決断をしなければなりません。イエス様に従う道を選んだ時、この世の物を手放すことも求められるのではないでしょうか。イエス様も仰っています。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」マタイ7:12 「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」ルカ6:38もっとも小さなものしたことはわたしにしたのである。