礼拝メッセージ(2018年4月29日)

「その兄弟のためにも」

聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:8章1節~13節

林 健一 牧師

 

コリント教会の問題は一つや二つだけではありませんでした。パウロはその問題の解決を一つずつ聖書的に説明しています。今回扱っている主題は、偶像にささげられた物に関する問題でした。偶像にささげられた物に対し、パウロは何と語っているかともに見ていきましょう。

1、罪に定めてはいけない
コリント教会は偶像にささげられた物を食べる問題で、互いを罪に定める深刻な状況に直面していました。このような問題を解決するためには、まずお互いに罪を定めることを止めなければなりません。合理的な代案を出すことも出来ずに、無条件に批判してはいけません。それは聖書的な方法ではありません。罪に定めることを止めるとき、問題の解決が始まります。

2、偶像にささげられた物に関して
食べ物自体が神様に対する私たちの信仰に影響を及ぼすことはありません。神様を知っている人は、偶像にささげられた物に関して自由に対処することができます。パウロは偶像は人の作った単なる像であるため、偶像の神殿にささげられた食べ物を聖徒が食べても関係ないと語ります。

3、自由を制限しなさい
パウロは信仰者の自由を語ると同時に、霊的に成熟した人が、そうでない人を配慮する意識を持つよう強く語っています。私が食べる物によって信仰の弱い人がつまずくならば、それは罪を犯すことです。ですから、クリスチャンは何でも食べることができますが、神様のため、そして他の人々のためにその自由を制限することができなければなりません。そのように歩む人が成熟した聖徒です。

成熟した聖徒は決して個人的に、また自己中心的にこの世を生きることをしません。なぜなら、隣人を配慮できる愛を持って生きるからです。食べ物はもちろん、私のせいで隣人が心の痛みを感じるのであるならば、喜んで自分の自由を諦めることができるとき、真の成熟の段階に進むことができます。