礼拝メッセージ(2018年9月2日)

「ならずものの大将エフタ 」

聖書・士師記 11章:1節~11節

林 健一 牧師

祝福されたいのち
9月から士師記を読んでいきます。7月・8月は創世記(アブラハム)を読んできました。創世記・士師記につらぬかれているテーマは「祝福されたいのち」です。創世記の最初には天地創造のなかで神様は人を創造された後に人を祝福されました。
「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」    (聖書・創世記1章28節)
神様は祝福を持って私たちを創造され人生を導かれたことが聖書には書かれている。私たちは神様に祝福された尊い存在なのです。しかし、現実には神様の祝福は感じられるでしょうか?神様に「あなたは尊い存在だよ」とのメッセージを確信を持っていつも握っているでしょうか?

祝福されているはずなのに
生きづらさを抱えて生きているのが現代に生きる私たちです。SNSで「不登校は不幸じゃない」と言葉を見ました。新学期をまえにして学校に行くことが辛い子どもたちに呼びかけたメッセージです。様々な理由があって学校に行くことができない。そこには生きづらさがあります。子どもたちだけでなく、大人たちも生きづらさを抱えてもがき苦しんでいるのではないでしょうか?これから読む士師記もようやく約束の地に入ったはずなのにうまくいかないことばかり続くイスラエルの民のお話しです。神様が約束してくださったはずなのにどうして?思うことは私たちの信仰生活にも重なってきます。士師記を読んでいると息苦しさ、重苦しさを感じます。これこそが信仰の民と言われるイスラエルが歩んできた歴史でもあるのです。息苦しさ、重苦しさの中に神様がおられてイスラエルを導かれるのです。私たちも、その姿からいまに働かれる神様の導きを感じていきたいと思います。