礼拝メッセージ(2019年2月10日)

『 人生で喜ぶべきことは 』 ルカによる福音書 10章:17~24節  牧師 林 健一

 今日の読んだ箇所には“喜び”が2つ出てきます。一つは、72人の弟子たちの喜びです。17節に「七十二人は喜んで帰って来て」と書かれています。もう一つは、主イエス様の喜びです。21節に「イエスは聖霊によって喜びにあふれて」とあるとおりです。そして、よく読んでいくときに、弟子たちの喜びと主イエス様の喜びの種類が違うことに気づかされると思います。弟子たち、言うならば私たちの喜び、それと主イエス様の喜び それは神様の喜び、クリスチャンが喜びは何であるか?ということです。

*私たちにとって喜びのある人生をおくることは大切です。神様にある喜びをあなたは体験しているでしょうか。


 72人の弟子たちは、10章の初めのところで、主イエス様によって二人ずつ、町や村に遣わされました。病人をいやし、「神の国はあなたがたに近づいた」(10:9)と宣べ伝えるためです。その72人が帰って来て、喜んで主イエス様に報告しました。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私たちに屈服します」(10:17)。弟子たちのこの喜び、つまり、宣教・伝道の働きがうまくいったのです。結果が出たのです。自分にとって都合良く事が運んだのです。ところが主イエス様は、悪霊が屈服することを喜んで報告する弟子たちに言われました。
「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(10:20)。
 自分のしていることがうまくいった。結果が出た。都合良く運んだ。それは人間の目から見れば喜ばしいことなのだけれど、神さまの目から見ると、ズレている。それとは違う喜びがあるのです。それは、自分の名前が天の名簿に書き記されている喜び、自分の名前が神さまに覚えられている喜びです。もっと端的に言えば、自分が神さまに愛されている喜びです。

*あなたにとっての喜びは結果や成功を感じたときの満足だけでしょうか。神さまに自分の名(存在)が知られている、愛されている喜びでしょうか。

主イエス様はこのように72人の弟子たちを諭した後で、聖霊によって喜びにあふれて言われました。主イエス様の喜びとは、聖霊による喜び、すなわち信じる喜びです。
「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。これは御心に適うことでした」(10:21)
 示された「これらのこと」とは何でしょう?それは、72人が「神の国はあなたがたに近づいた」と宣べ伝えて来た神の国の喜びです。主イエス様は、この喜びが知恵ある者や賢い者には隠されていて、幼子のような者に示された、と言うのです。幼子の意味の中には「だまされやすい」「人の言葉に振り回されやすい」があります。自分に欠けがあり、それを満たしていただくために神さまの教えをいただかねばならないというへりくだった柔らかい心を持つ者に神さまは神の国の喜びを示してくださいます。

*神さまは愚かな者、幼子に理解することでなく信じる喜びによって福音を示してくださいました。私の心で神さまの愛を知ることができるのです。