礼拝メッセージ(2019年2月24日)

『 取り上げてはならないもの 』 ルカによる福音書 10章:38~42節 牧師 林 健一

 幼い時クリスマスプレゼントをもらった朝、喜んでプレゼントをあけると欲しかったブロックのおもちゃでした。横では姉がもらったプレゼントをあけていました。姉がもらったプレゼントはクッキングセットでした。私は姉がもらったプレゼントを見て「いいなあ、お姉ちゃんのほうがいいのをもらっている」と思いました。私は大駄々をこねて姉のプレゼントが欲しいと泣き続けました。もらえること(横取り)はできませんでしたが…
 幼い時の話ではありますが大人になった今でも私の心は変わらないのではないかと思うのです。隣人を愛し尊重することのできない私がいます。この私があらゆるところで隣人のものを欲しがり、支配しようとして侵略するのです。あるミッションスクールのチャペルで「平和」についてのメッセージの中の一文です。『こちらの掲げる理想がどんなに正しいものであったとしても、相手のことを受容せず「あなたを正してあげよう」「あなたを救ってあげよう」と迫るのは、「侵略」に他ならない。そしてその侵略は、国家間・民族間のみならず、家庭のなかからも始まっている』私はこの先生のメッセージをとおして気づかされました。「神様はこう言っている」という自分の正しさで皆さんの心を侵略しようとしていたのではないかと。神様との関係と愛を失っているのです。私たちはよく良かれと思って隣人に意見を言うことがあります。隣人が受け入れたなら良かったと思います。しかし耳をかさないとなると激しく憤り、何としてでも自分の意見に従わせようとしないでしょうか。
 今日読んでいる聖書の箇所は「マルタとマリア」の物語としてよく知られている聖書の箇所です。あなたはマルタ?それともマリア?といふうにどちらがと並べて、自分の立場に置き換えて読むのではないでしょうか。しかし、私たちはイエス様の言葉に注目して読んでいきたいと思います。イエス様はマルタにこう言われました。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 (10:41・42)マルタはもてなしの手伝いを一緒にしてくれないマリアへの苛立ちをイエス様にぶつけました。ですがイエス様はマルタにマリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならないだろうと言われたのです。一見するとイエス様はマリアをかばったかのような発言です。しかし、イエス様はマルタにも、マリアにもそして読む私たちにも福音(救い)において大切なことを言おうとされたのではないでしょうか。
 イエス様はマルタに神様との関係、私が幸いを得る道においてただ一つのことを、それは「取り上げてはならない」ものであると言われました。この言い方ですと、マルタに対して命令しているかのように聞こえますが、もとの言葉は命令形ではありません。未来形です。直訳すると、「それは取り上げられることはないだろう」という意味です。イエス様はいったい何を「取り上げてはならない」と言われたのでしょうか。それは私たちにとっても何を意味するのでしょうか?