礼拝メッセージ(2019年3月3日)

『 祈りを教えてください 』 ルカによる福音書 11:1~13 牧師 林 健一

祈りを教えてください
 弟子たちは主イエス様に「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」(11:1)と祈りの言葉を自分たちにも教えてくれるようにと求めました。ユダヤ人は幼いときから「シェマの祈り」(申命記6:4~7、11:13~21)や「18の祝福」と呼ばれる長い祈祷文を、朝昼夕に唱えていました。祈ることを知っていた人たちです。弟子たちは祈りについてこう思ったのではないでしょうか。自分たちは祈りの言葉は知っている。しかし、主イエス様の祈りにくらべたら自分たちの祈りは本当の祈りなのか?じつに主イエス様の祈りは生き生きとしていました。弟子たちは、主イエス様の祈りの言葉を自分たちも同じように祈ればそうなると思って教えてくださいと言ったのでしょう。しかし、祈りの言葉だけで祈りとは生き生きと実感できるものなのでしょうか?

「父よ」と祈りなさい
2節 そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。

 主イエス様は弟子たちに祈りの言葉を教えられました。それは私たちも礼拝の中で祈っている「主の祈り」です。「主の祈り」の中で主イエス様はまず弟子たちに「父よ」と祈りなさいと言われました。主イエス様が弟子たちに教えようとされたのは、祈り言葉ではなく誰に向かって祈るかということでした。私たちは誰に向かって祈るかが問題です。何千、何万と祈りの言葉を知ることより主イエス様は「父よ」と祈るべき人を知ることの大切さを弟子たちに教えられました。この世で最も悲劇なのは孤独です。さらに悲劇なのは最も近くに私たちを愛してくださる存在がいるのに気づかいないで、私は孤独だと嘆くことです。主イエス様は私たちを「主の祈り」をとおしてご自分が持っている親密な父と子の関係の中に招き入れてくださいました。

父と子の関係で祈りなさい。
 主イエス様は父と子の関係の中で祈りなさいと言われました。主イエス様はあなたが本当に必要なものであり、それを切に求め続けるなら父なる神様は与えてくださるであろうと約束されました。主イエス様は私たちの祈りの姿勢に必要なのは「しつように頼めば」(11:8)これは、「恥知らずに図々しくすること」という意味の言葉です。主イエス様は「アッバ」父の前ゆえに私たちは与えられるまで求め続けることがゆるされているのだと言われます。そして、私たちは祈りの姿勢と共に私たちにとって必要なものは何であるかを知らなければなりません。主イエス様は私たちにとって必要なもの、良い物は「聖霊」であると言われました。「聖霊」は神御自身の霊です。神様ご自身を良い物として私たちに与えてくださると約束してくださいました。この世界のどんなものを与えられたとしても必ず無くなります。それは私たちにとって本当に必要なものでしょうか。私たちに必要なものとして尽きることのない神様との関係を与えられている。それこそ私たちが切にしつように求めていくべきことなのです。