礼拝メッセージ(2019年7月7日)

 『 主があなたと共におられる 』  ルカによる福音書 1章:26~29節  牧師 林健一

 本日からイエス様誕生の予告の話へと進んでいきます。この26節~38節は、「受胎告知の物語」と呼ばれるもので、イエス様の母マリアが、神の子イエスの母となる知らせを聞いたその場面です。「妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた」(24)のを受けて、その「六か月目」というつながり方で今日のところは始まっています。天使ガブリエルから神さまの言葉を告げられた「ザカリヤ」と「マリア」の二人の様子が同じように「順序正しく」(3)書かれているのを見るのもおもしろいと思います。
さて、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神さまから遣わされた。(27)イエス様の故郷となったガリラヤのナザレは今でこそ世界から大勢の人たちが訪れる場所となっていますが、当時は貧しい村でした。また宗教的に差別を受けていた村でもありました。紀元一世紀の初め、ナザレの村には多くて480人が住んでいたであろうと言われています。
小さな村、誰も見向きもされないような村に住んでいたマリアに救い主イエス様の誕生が告げられようとしているのです。
マリアという女性は「ダビデ家のヨセフ」(26)という人のいいなずけ(婚約)をしていました。当時、ユダヤ社会での婚約というのは結婚そのものの契約でした。申命記22章23節にでてくる「ある男と婚約している処女の娘」という法律の中に出てくる表現と同じ言葉でした。まだ一緒には住んでいませんでしたがヨセフとの結婚を待ち望みつつこの期間を大切に過ごしていたのです。そのささやかな喜びを打ち破るような神さまからの出来事がマリアの人生に起ころうとしていました。
マリアはいったいいくつであったでしょうか?「イエスが十二歳になったとき」(2:42)ユダヤ社会では男子は十三歳で「戒めの子、バル・ミツバ―」になる成人をします。女子の場合はその一年前、十二歳が結婚適齢期、つまり女性として一人前になる年齢でした。現代から見ると想像もできないことですが、マリアはそのような年齢でたった一人きりで神さまからの重大な告知を受けなければなりませんでした。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(28)マリアは天使ガブリエルの言葉にひどく戸惑い、心乱れました。
マリアはなぜガブリエルの言葉に戸惑い、不安になったのでしょうか。「主があなたと共におられる」(28)という言葉は私たちに約束と励ましを与えるものではないでしょうか。旧約聖書にはマリアが受けた言葉と同じ召命を受けた人が出てきます。モーセやギデオンです。彼らもマリアと同じ気持ちでした。いったいこの言葉は何のだろう?不安と恐れのなかで彼らは神さまに従っていきます。私たちはどうでしょうか?その言葉に安心しきって主と共に歩んでいくことを怠っていないでしょうか?私たちも主の言葉を聴いたなら共に歩んでいく者として進んでいかなければならないのではないでしょうか。