礼拝メッセージ(2021年8月1日)

『 あなたはどう読んでいるか 』 ルカによる福音書 10章:25~37節 林健一 牧師

 本日この聖書箇所は、「善いサマリア人のたとえ話」としてとても良く知られている箇所です。四福音書でルカによる福音書だけがこの有名なたとえ話を載せています。このたとえ話のきっかけとなったのは、ある律法の専門家から寄せられた質問です。その質問とは「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」(25)というものでした。

 イエスさまはその質問に直接お答えにならないで、反対に質問してきた律法学者に、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」(26)神の律法をあなたは「どう読んでいるのか?どう理解しているのか?」と反問しています。イエスさまは宗教の問答でなくあなた自身のなかでどう永遠の命について考えているのか?神さまのお言葉に対してあなたはどのように向きあっているのか?と問いました。もし、皆さんが律法学者の立場だったらどうイエスさまに答えますか?

 律法学者は答えます。彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」(27)

 この言葉で、試す者と試される側の立場が逆転してしまいます。イエス・キリストは律法学者に問いかけていらっしゃるのです。あなた答えを知りながらなぜ行なおうとしないのか、と。試される側になった律法学者は、自分が答えた律法をなぜ行なわないのか、自分を正当化する理由を見出さなければならなくなりました。

 そこで、律法学者は、「隣人とは誰か」という定義の曖昧さに、この律法を守ることができない正当な理由を見出そうとしたのです。つまり、何処から何処までが愛の対象である「隣人」に含まれ、何処から何処までが愛する必要のない「敵」なのか、それがあたかも問題の中心であるかのように自分を正当化しようとしたのです。彼は律法学者であり永遠の生命が何かを知っていながら自らを遠ざけてしまう愚かな質問をイエスさまにしたのでした。イエス・キリストはこの愚かな問いに、たとえ話をもってお答えになったのです。