礼拝メッセージ(2022年7月17日)
『 気を落とさずに祈れ 』
  林健一 牧師 
ルカによる福音書 18章:1節~8節

18章 01節:イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

18章 02節:「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

18章 03節:ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

18章 04節:裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

18章 05節:しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

18章 06節:それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。

18章 07節:まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。

18章 08節:言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」

ルカによる福音書 18章:1節~8節(新共同訳)

 今週からルカ18章に入ります。イエスさまが弟子たちに「気を落とさずに祈らなければ」ならないことを命じられました。口語訳では「失望せずに」とあります。そこには「落胆・困憊」してはいけない。という意味があります。この箇所は17章22節からのつながりで最後の締めであり結論です。20節には「神の国はいつ来るのですか」とファリサイ派の人々がイエスさまに質問します。神の国・神の支配と義はいつ来るのですか?という問いでした。ユダヤ人たちは神の国を待ち望んでいました。この問いは私たちクリスチャンにとっても大切な問いかけです。


 主イエスさまは「やもめと不正な裁判官」のたとえ話をとおして結論を伝えているのです。それは私たちにも語っておられるのです。信仰を持ったって何になるのか?時にはそう思うこともあるかもしれません。ですがイエスさまは失望してはならないと言っておられます。そればかりか8節で「しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」主イエスさまは弟子たち、すなわち主イエス・キリストを信じる者たち、教会の信仰を懸念しておられます。教会は信仰を持ち続けていることができるのだろうか?いや持ち続けてほしいと主イエスさまは弟子たちに警告と忍耐をもって神さまに信頼し続けることを願っておられます。先達の信仰者たちのように最後まで信仰を持ち続け神の国に入るにはどうすべきかみ言葉から聞いていきたいと思います。


 「気を落とさずに絶えず祈り続けなさい」約束のみ言葉をもう一度どういう意味であるかを考えていきたいと思います。ここだけ切り取るなら祈りの答えが与えられるまで祈り続けなさいと取ってしまいます。しかし、違うのです。主イエスさまが言われたのは神の国が来るとき終末、それはこの世の終末のことですが、私たちの終末のことでもあるのです。私たちの人生の結末になったとき主に喜ばれる歩みを送ることを求めておられるのです。