礼拝メッセージ(2019年6月23日)

『 共に、キリストに倣う者となりなさい 』 フィリピの信徒への手紙 3章:12節~4章:1節  教会員Iさん

今日は、「共に、キリストに倣う者となりなさい」というテーマにしました。パウロがここでは「皆一緒に、わたしに倣う者となりなさい」と言っているので、それではパウロは誰に倣っているのだろうと考えたところ、答えはコリント第一の手紙11章にありました。パウロはこう言いたかったのです。「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者になりなさい。」つまりはパウロに倣うことはキリストに倣うようにすることが目的であるということです。また、パウロは、ローマの信徒への手紙では「主イエス・キリストを身にまといなさい」(ロマ 13:14)と言っています。

イエス様はわたしたちにイエス様の代わりとして聖霊を遣わすと約束されています。聖霊こそがクリスチャンの生活を守り、また成長させる。肉に従うことは死に向かうことであり、御霊に従う者は永遠の命に向かって歩むのである。これがパウロの確信でしょう。私たちは「イエス様を身にまとう」のです。イエス様のみ名を呼ぶときに、イエス様ご自身が顕れて私たちと共に立ってくださる。そして主のご臨在に自分を委ねることによって、主のみ霊に包まれる、あるいは主をまとう、というところまで進むのです。パウロの表現は「キリストに結ばれる」とか「生きることはキリストである」とか「キリストを模範とする」どれを取り上げてもとにかくキリスト・救い主なのです。

わたしたちが信仰を考える時、「善いことをしようと心では思うんだけど、神様に従った生活をしなければとは思うんだけど」って言うとして・・・。それを本当に真剣に望んでいるでしょうか。「望んでいる」とは「そうしたくてたまらない。うずうずしている」ということですよね。ぶっちゃけた話、わたしたちは「そうしなければならない、それが人間として、また信仰者としての義務だ」と感じているのではないでしょうか。「そういう義務感はあるのだが、それを実行する力がない」と後ずさりしているのが私たちの現状ではないでしょうか。そしてその「力がない」というのは、実は力がないのではなくて、「その気がない」のではないでしょうか。パウロは、わたしたちに「わたしがするように、その気になりなさい。」って言いたいのです。