礼拝メッセージ(2019年7月21日)

 『 お言葉どおり、この身に 』  ルカによる福音書1章:34~38節  牧師 林健一

神さまの御心に従って生きる決意
 私たちは神さまの御心、み言葉に従い、受け入れるということは困難なことであります。なぜなら、人間は自分以外を受け入れることができない自己中心の存在であります。常に私たちは自分が第一でありたいという心を持っています。人間が持っている罪性は自分を神とする、他者を自分の支配下に置きたい。今週、京都のアニメーション会社に男が放火した事件によって33名の尊い命が犠牲になりました。放火した男性の動機は「小説を盗んだから放火した」ということですが、事実であるなら誠に身勝手な動機と言わざるを得ません。しかし、私たちは日常のなかで些細であるかもしれませんが身勝手な振る舞いをしてしまうことがあります。エゴを押し通したい欲求が心のなかにあり抑えられないのです。
 イエス・キリストの母マリアは自分ではなく神さまのみ言葉を選択するという私たちとは反対の生き方をしたのでした。「神さま、私を見てください」というのでなく 「神さま、私はあなたを見上げます」がマリアの選んだ生き方だったのです。多くのクリスチャンはマリアに対して模範的な信仰者というイメージを持ち、とても私にはマリアのような信仰は持てないと思うのです。しかし、多くのクリスチャンたちは間違った知識、認識に基づいてマリアを理解しています。マリアはガリラヤのナザレという田舎の村で育ち、暮らし、毎日の生活に追われていた。私たちと何ら変わることがない同じ人です。この出来事のときに彼女はまだ10代であったと言われています。
 しかし、私たちとマリアが違う点が一つだけあります。マリアは神さまを愛し、神さまの願うことが何であろうか。と知ろうとしていた人でした。ただその一点が違うだけなのです。マリアはどのように神さまを愛し、神さまのみこころを知りたいと願っていたのか見ていきたいと思います。