礼拝メッセージ(2020年7月26日)

 『 十二使徒 』  ルカによる福音書 6章:12~13節 林健一 牧師

十二人を選ぶ
 主イエス・キリストには、十二人の弟子たちがいた、ということはよく知られています。主イエスのもとに集まって来て、教えを聞き、従っていた人々はもっと沢山いました。しかしその中から十二人の人々が、主イエスご自身によって特別に選ばれたのです。マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書はいずれも、その十二人の名前を記しています。本日の箇所、ルカによる福音書第6章12節以下が、ルカにおいてその十二人の名が語られている所です。
 主イエスはガリラヤで伝道を始められてから、毎日休む暇なく働いてこられました。会堂で日々、神の国の福音を宣べ伝え、汚れた霊に悩まされている人、多くの病人をいやされました。主イエスに多くの人たちが従ってきました。その中から主イエスは十二人を選ばれました。

12節 そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。 
 主イエスがどのような基準で十二人を選ばれたのか書いてありません。主イエスが選び召したのです。私たちキリスト者も理由があって神さまに救われたのでなく選んでくださったことに注視すべきです。基準に注視するなら私たちは自分を誇るようになります。選んでくださった方に栄光を帰すべきです。選びの理由が記されていないのは選んでくださった主イエスに注視せよとのメッセージです。ただ選びのまえに主イエスは徹夜で祈られたことが記されています。
 安息日でのファリサイ派の人々との論争の中で手の萎えた人を癒された主イエスは、祈るために山に行かれました。何のためでしょうか。ルカは主イエスがよく人里離れた所にいってお一人で祈られたという記事を載せています。主イエスは一人で山に登り父なる神に祈ります。古来、山は神との出会いの場所です。モーセもシナイ山で一人神の啓示を受けて、律法を授与されたのでした(出エジプト記19章以下)。アブラハムも山で神に会います(創世記22章)。祈りは神との出会いであり、基本的には一人でなされるものです。騒がしい中では神にお会いすることはできません。礼拝、祈祷会においても環境の静けさ、心の静けさを大事にしてほしいのです。
 主イエスは今、ここでも大事な決断をされるために夜通し神に祈られたのです。主がこれから選び出そうとしておられるのは、御国の福音を宣べ伝え、悪霊を追い出し、病を癒す務めを、ご自分と共に担う者たちです。その数は十二人。これはちょうどイスラエルの十二部族の数と同じです。イスラエルの民は、神によって選び出され、神の民として、諸国民の祝福の基になるよう定められた民です。それと同じように、今ここに選び出されようとしている十二人も、主イエスによって選び出され、主が宣ベ伝える御国の福音に、一人でも多くの人々を招き入れるために遣わされようとしているのです。「使徒」という言葉は、「遣わされた者」という意味です。特別な務めを身に帯びて、派遣されるのです。祈って夜を明かされた主は、朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで「使徒と名づけられ」、その職に任じられました。使徒は呼び集められ、名を与えられた者たちです。主がその権威をもって選び出し、務めに任じてくださったのです。主イエスが洗礼を受けられた時、天からの声が聞こえました、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」(3:22)。それと同じように、主は今、この十二人をご自身の務めに任じることをよしとされ、そのことが御心に適うことを示されたのでした。しかもこの選びは父なる神への祈りの中でなされたものです。ということは、主イエスのみではなく、父なる神もまた、この選びをよしとし、望んでおられることが、明らかにされているのです。