礼拝メッセージ(2021年1月24日)

 『 どう聞くべきか 』 ルカによる福音書 8章:16~18節  林健一 牧師

 「種を蒔く人」のたとえで「神の言葉」を語られたイエスさまは引き続き弟子たちに聞くべき姿勢について語られます。コロナウィルス感染拡大がなおも収まらない中、私たちの心の不安を煽るように毎日様々な情報、噂が耳に聞こえてきます。この世の情報と知識も必要ですが真に必要なのは私たちの心を生かす「神の言葉」です。この不安な時代にこそ暗闇を照らす「神の言葉」を聞く姿勢をしっかりと持ちたいと思います。

 イエスさまは「神の言葉」は「ともし火」のようなものだといわれます。「ともし火」の役割はともし火の光をとおして家に入ってくる人に光が見えるようにするためです。ともし火をつけてわざわざ隠すようなことはしないし隠してしまうならつけた意味がありません。「神の言葉」というのも、ともし火と同じように教会に来た人たちが「神の言葉」を聞いて神さまにある愛と希望が自分の人生にはあるのだと知るためです。光を照らすのは、いま教会に来て「神の言葉」を聞いている私たち一人ひとりです。「神の言葉」を聞いた弟子たちに隠してはならない人々に語りなさいといわれます。

 私たちは「神の言葉」語ることを恐れます。聞いた人がどう反応するか?喜んで聞いてくれるか、反対に拒否されたらどうしようか。「神の言葉」は本当に実現するのか?実はこの問いこそ私たちが抱えている恐れであり、私たちの信仰を揺らしているものなのです。しかしイエスさま「秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」(17)。といわれます。「神の言葉」は人々の目には秘められているように見えて必ず出来事となって現わされるといわれるのです。

 「神の言葉」を実現させてくださるのは神さまです。私たちではありません。「どう聞くべきかに注意しなさい」(18)とイエスさまは弟子たちに「神の言葉」を聞く姿勢に注意しなさいといわれます。いま、こうして「神の言葉」を聞いている私たちも注意して聞かなければなりません。パウロがテサロニケの教会の人たちの「神の言葉」を聞く姿勢について次のように語り神さまに感謝しています。「わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、…神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。」(テサ一2・13)