礼拝メッセージ(2021年3月21日)

『 イエスに会いたい 』 ルカによる福音書 9章:7~9節  林健一 牧師

 7節では領主ヘロデがこれらの出来事を聞き、「このガリラヤを騒がしているイエスという者は何者のだろう?」とイエス様に対し恐れ戸惑っている場面であります。ヘロデは自分の支配している領地のなかでイエス様とその弟子たちが行っている出来事について聞き、イエスとは何者なのか?と問うわけであります。「自然さえも従うこの人とはいったいどういうお方なのか?」という神様の信仰へつながる問い。反対に「罪を赦すこの人とは何様のつもりか?」というイエス様に反発する問い。ヘロデのイエス様への問いはどちらなのでしょうか?

 ヘロデは今、自分の領地内で起きているイエス様が行っている出来事を把握することができませんでした。そのことがヘロデを不安に恐れさせていたのです。人々に人気のある、このイエスという男は自分の地位を脅かす男かもしれぬ。私たちとヘロデが重なっている接点はこの戸惑いです。思いがけない出来事によって、自分の生活で想定し、準備し、対策しているのとはちがう現実が現われてくる。いわば、自分の人生という領地に自分のコントロールできないと思われる事態が生じる時に、私たちは戸惑うのです。

 ヘロデの戸惑いはイエス様による自分の支配が揺るがされることへの戸惑いだったのです。ルカはここで主イエス様の神の国の支配とヘロデの領主としての支配が衝突しているゆえのヘロデの戸惑いを記しています。私たちも小さな領主であります。あたかも人生のすべてを支配できるかのように全能であることを願っています。しかし、ほんの小さな支配しか許されていない現実があるのです。すべてを支配しておられる神様がおられる。ヘロデの戸惑いもまた私たちの戸惑いも全能の神様と自分の小ささを知らないことからくるものだということを知らなければなりません。

 結局ヘロデは最後までイエス様を知ることはできませんでした。私たちも同じです。「神様なぜですか?」「あなたはそれでも神様ですか?」そこには自分が人生の支配者であることに固執し、人生を神様に明け渡すことのできないでいるヘロデと同じ私がいるのです。もうここから私たちは解放されるべきなのです。