礼拝メッセージ(2023年1月8日)
『 心配しないで 』 I 執事
マタイによる福音書 6章:24節~34節

06章 24節:「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

06章 25節:「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

06章 26節:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

06章 27節:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

06章 28節:なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

06章 29節:しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

06章 30節:今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

06章 31節:だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

06章 32節:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

06章 33節:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

06章 34節:だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

マタイによる福音書 6章:24節~34節(新共同訳)

  31節「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 この個所をルカはこう言っています。「思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなた方の父は、これらのものがあなた方に必要なことをご存じである。」神の愛を知らない者は、自分に必要なものは自分で揃えなければならないと考えて、一生懸命に奔走している。しかし、神様は一人一人に何が必要で何が足りないのか知っておられるし、愛をもって備えてくださる。そう信頼して生活するのです。信頼は心配を打ち破るものです。だから、心配するな、というのです。


 それでは、どうすればよいのかを教えてくださっています。しなければならないことは一つだけ、神の国と神の義を求めることをしなさい。よく耳にすることですが、では、神の国はどうしたら得られるでしょうか。それは、神のみ旨に従って自分の生活を律することであり、人々の心が神の御支配に委ねられるように働くことである。と、ある注解書には書かれています。神の義とは、霊的には、真剣に祈り求めることによって、イエス・キリストの父なる神が私たちの中に住まわれることを意味しています。この世においては、信じる者たちが神に支配されている状態を意味しています。神の御手は、この世に及んでいます。34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」   

                                                     
 イエス様はこのように、宣言されるのです。「思い悩むな」は原語でメー・メリムネーセーテと言いますが、この言葉は厳然とした否定命令であります。そして「明日」は未来と訳すべき言葉です。つまり、体験するかもわからない未来を心配してどうなる。あなたの明日は神だけが知っておられる神の領域、だから信頼しなさいってことです。これは、あきらめとか気休めでもなく、信頼することで湧き出る新しい力を受け取る事なのです。「与えられた今日一日を大切に前向きに生きなさい」ということです。