礼拝メッセージ(2023年1月15日)
『 神の怒りが下る日 』 林健一 牧師
ルカによる福音書 21章:20節~24節

21章 20節:「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。

21章 21節:そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない。

21章 22節:書かれていることがことごとく実現する報復の日だからである。

21章 23節:それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。この地には大きな苦しみがあり、この民には神の怒りが下るからである。

21章 24節:人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」

カによる福音書 21章:20節~24節(新共同訳)

 私たちは関係性のなかで生きています。人間とは共同社会のなかで生きるようにまた豊かにされるように神さまに造られた存在です。自己完結できる存在ではありません。他者との関係性を見ないでいるといつの間にかひとりよがりになってしまい、真の姿がわからなくなります。私が中心になって他の人の声を聴くことができなくなる。私たちの信仰もそうです。私たちは神さまとの関係のなかで自分の立っている場所を確認し続けなければなりません


 20節 「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。
 主イエスさまがこのことを預言されてから40年ほどたった紀元70年に、エルサレムはローマ軍によって攻められ完全に破壊されてしまいます。ユダヤ人は国を失い世界中に散らされていきます。「滅亡」というのは「荒れ野」から生れた言葉で「住む人をなくすること」つまり「荒廃した状態」を言っています。イエスさまは現実かつ具体的にこれからのエルサレムの進む姿を示すのです。そしてエルサレムから一刻も立ち去れ、逃げ切りなさいと言われます。現実に紀元70年の前年69年にローマの軍隊にエルサレムが包囲された時、エルサレム教会の人たちはエルサレムが陥落する前にテラという山の中へ逃げたと記されています。初代教会の人たちは主イエスさまの言葉に従い逃げたのであります。ここに現実にみ言葉を信じ従った人たちがいるわけであります。


 主イエスさまは異邦人が神さまの裁きの代理人としてエルサレムを踏み荒らすのも、永遠のことではないとおっしゃいます。それは「異邦人の時代が完了するまで」のことです。皆さんに知ってほしいこと。それは完了するという言葉の持つメッセージです。口語訳では「満ちる」という言葉です。終わりという言葉でもあります。聖書が言う終わりというのは最後と完成、満ちるという2つの意味を持つのです。神さまは選ばれたイスラエルを一度終わりにします。それは背信したイスラエルを終わりにするのです。そのままにせずにもう一度イスラエルを再び主の選びの民として完成へと導くのです。私たちもそうです。神さまは真の完成へと導くためにあえて私たちの今の営みに終わりをもたらすことがあります。そして、あえて苦難の道をとおらせ真の祝福、完成にいたらせるのです。いま、歩んでいる道は半ばかです。完成へと主が私たちを導いておられます。