礼拝メッセージ(2026年8月30日)「変わったのは神様」創世記9章8~17節

箱舟は限られた者たちの平和?

平和を象徴するものと言うと、どのようなものが思い浮かぶでしょうか。インターネットで「平和」と検索すると、ハトがオリーブの枝をくわえて飛んでいるイラストが一番多く出てきます。このイメージを広めたのはピカソなのだそうです。1949年に開かれた「平和擁護世界大会」のポスターに、ピカソがハトの絵を描いたことがきっかけとなって、ハトが平和のシンボルとして広く使われるようになりました。

元をたどれば、オリーブの枝をくわえて飛ぶハトは、創世記のノアの箱舟物語に登場します。この物語では、地上に悪がはびこったために、神様が山をも飲み込む大洪水をもたらしました。地上の人も生き物もすべて拭い去られてしまいましたが、ノアとその家族、またすべての生き物のつがいは箱舟の中で生き延びることが許されました。

雨が止み、水が引き始めたとき、ノアは箱舟からカラスを放しました。しかしカラスは何も見つけられずに戻ってきました。次にノアはハトを放しました。二度目にハトを放したとき、ハトはオリーブの枝をくわえて戻ってきました。それによってノアは地上から水が引いたことを知りました。このハトが、洪水が終わったあとの平和な世界を象徴するものとなりました。

危機の中で守られ、新しい世界へと導かれたことには平和のイメージが当てはまります。その一方で、この物語では箱舟に乗ることができなかったすべての人・すべての生き物が大洪水にのまれ、息絶えてしまいます。ハトの平和のイメージとは裏腹に、この物語には残酷で悲惨な側面もあるわけです。

このような物語を文字通り受け取ることは、多くの人が犠牲になる中で、限られた人だけが生き残ることを正当化することに利用されかねません。現在、気候崩壊とも呼ばれるほど地球環境が危険な状態になりました。世界秩序も破綻しつつあり、世界規模の戦争を警戒する声も上がっています。そのような中で、超富裕層の中には限られた者しか入れない島に移り住んだり、地下に大規模なシェルターを作ったりする人たちが現れています。

一例をあげると、Facebookを立ち上げ、Metaの会長兼CEOであるマーク・ザッカーバーグは、ハワイのカウアイ島に巨大なシェルターを作っています。約3億ドルを投じて、世界規模の危機が起きた時に自給自足できるシェルターに逃げ込み、自分たちだけは生き延びることができるようにしようと考えているのです。

一部の人間が生き残り、他のすべての命が犠牲になることは平和ではありません。少なくとも私たちも含めた犠牲にされるほとんどの人にとっては平和ではありませんし、神様にとっての平和でもないでしょう。それではノアの物語を通して告げられている平和はどのようなことなのか、改めて考えてみたいと思います。

怒りではなく、後悔と心の痛み

物語の発端は、神様の意志に反して地上に悪がはびこったことにありました。

「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧にな って、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。」(創世記6章5~6節)

人々の有様はあまりにも酷いものとなっていました。それは神様が人を造ったことを後悔したほどです。神様は人をご自身に似せて造り、祝福を与え、神様に代わって地上を治める役割も託しました。その信頼と期待を裏切り、人の心は常に悪に傾いてしまいました。神様の前で腐敗し、暴虐に満ちた地上の姿は、神様が造り出そうとした世界とは正反対のものでした。

しかしここで悪に傾く人々に対して、神様が怒っているとは書かれていません。神様は後悔して、心を痛められました。洪水によってすべてのものを滅ぼすという出来事は、神様の怒りを表しているものだと思っていましたが、洪水をもたらしたのは神様の怒りではなく、神様の後悔と心の痛みだったのです。

後悔や心の痛みは、今起こっていることに重ねてみると理解しやすいかもしれません。私たちは今、人類が経験したことのない気候変動に直面しています。猛烈な熱波や干ばつが起こったり、未曽有の豪雨や水害が発生したりしています。食糧や水、安全な住まいや仕事が手に入りづらかったり、失ってしまったりする人も増えていきます。

また人間だけでなく、多くの被造物も呻いています。地球の歴史上、6度目の大量絶滅が既に始まっていると考えられています。生息地が失われ、生態系が破壊され、激変する環境に脅かされることで、命をつなぐことができなくなる生き物が増えていきます。

大地を覆う洪水は起こっていなくても、今、私たちは地球を覆うような危機に直面しています。この危機の中で傷つき苦しむ人々や生き物の姿を見ると心が痛みます。どうしてこのようなことになってしまったのか、このような事態を避けることはできなかったのか、という後悔の思いもわいてきます。このような危機をもたらしたことへの怒りもありますが、後悔し、心が痛むことの方が強いかもしれません。

ノアの物語でも、大洪水は怒り狂った神様が復讐のために引き起こしたことではありません。悪に傾く人間を造ったことに後悔し、腐敗と暴虐に満ちていた地上の有様に心を痛めた神様がもたらされたものです。後悔し、心を痛めた神様は、滅ぼすことではなくやり直すこと、新たに作り変えること、再生することへと向かわれたのではないでしょうか。

だからノアの物語の大洪水は、文字通りに起こったことではなく、現実に起こる洪水と同じものでもありません。腐敗と暴虐に満ちた世界に対して、神様がどのような思いを抱き、何をなそうとされるのか、ということを教えるものなのです。

人間ではなく、神様が変わった

ノアの物語は、勧善懲悪では説明しきれません。悪人は滅び、善人が生き残るということを教える物語ではないのです。確かに、「その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(創世記6章9節)と書かれており、悪に傾く人々の中でノアだけは正しい人だったことになっています。

けれども大洪水の後で、神様はこのように言っておられます。

「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは二度とすまい。」(創世記8章21節)

大洪水の前だけでなく、その後も、人が心に悪いことを思うことは変わっていません。ノアの子孫たちも決して正しい人ではなく、様々な過ちを繰り返しています。ローマの信徒への手紙でパウロが「正しい者はいない。一人もいない。」(3章10節)と語っているように、大洪水は人の本質を変えたわけではありません。

大洪水は、世界の創造をやり直そうとする神様の意志を現わしています。悪がはびこり、腐敗と暴虐に満ちたままで世界を放置することはできません。もはや人間の手には負えない事態に対して、神様が決定的な仕方で介入されたのです。もう一度やり直し、世界を作り変えるためには、悪を野放しにせず、正しく裁くことは必要です。

しかしこれは人間を変えることにはならなかった。では何が変わったのか。変わったのは神様です。これまで神様は人間との間に距離があったように見えます。地上に悪がはびこっていく様子を見守っておられた。けれどもそれではどうにもならない事態を見て、ご自身がそこに関わっていくことを決意されたのです。

大洪水のような破滅を経験してもなお、人間は悪いままです。それでも神様はこの世界と共にあり、人と共に生きることを決意されました。人と向き合い、関わり続け、人が神様に応えることを忍耐して待ち続ける。それまで二度と大洪水のようなことは起こさない。そのように神様がご自身を変えられたのです。

ここには、イエス・キリストの降誕と重なる神様の決断があります。悪がはびこる腐敗と暴虐の世界の中に、神の子イエス・キリストはお生まれになり、私たちと共に生きてくださいます。それと同じように神様もこの世界に関わり、私たちと共に生きることを選んでくださったのです。変わることができない私たちのためにご自身を変えられたことに、神様の愛が現れています。

変わることのない神様の契約

大洪水の後、神様はノアとその息子たちを祝福し、新たに契約を立てられます。その契約は、ノアとその息子たちだけのものではなく、彼らをすべての人の代表として神様が契約を立てられたと言えるでしょう。さらにこの契約は人間だけでなく、他のすべての生き物に対しても立てられた契約です。

「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」(創世記9章9~11節)

この契約は人や他の生き物が立てた契約ではなく、神様が一方的に立てた契約です。つまり私たちがどのような者であろうとも、決して変わることなく続く神様の約束です。この契約の内容を忘れて箱舟の出来事だけを切り取り、神様が一部の人だけを選んで救い、他の人々は滅ぼしてしまう、と考えることは、神様の約束を無にする過ちでしょう。

神様はすべての人が生きることを望んでおられます。さらには人だけでなく、この世に生きる無数の生き物の生命もつながっていくことを望んでおられます。天地創造の際に語られた「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という祝福が9章1節で再び語られているように、神様の被造物である人と他の生き物とが共に生き、祝福を受けられることこそ、神様の平和です。

人間は心が悪に傾きやすい弱く愚かな存在です。導き手を失い、傲慢になると、自らの生存さえ脅かしてしまうほど道に迷いやすい者でもあります。そんな私たちを見捨てることなく関わり続け、人も他の生き物も生きられる祝福された世界、平和な世界を造り出すことを神様は変わらない意志として持ち続けておられます。

神様はこの契約を心に留めてくださっています。私たちは忘れやすいものですが、この危機の時代だからこそ、神様が立ててくださった契約の大切さを思い起こしたいと思います。誰かを犠牲にして限られた者だけが生き残る世界へと堕落していくことを止め、共に生きられる世界を創造し、その方向へ向きを変えていくことが、平和を作り出すことなのです。

牧師 杉山望

※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。

 (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

参考書籍・サイト

W.ブルッグマン『現代聖書註解 創世記』日本基督教団出版局、1991年

Lynda Smith-McDanielによるPixabayからの画像