神の時を待てますか?

教会に躓いたから出ていく、教会の外にも神さまの恵みの場所はあるということを聞きます。その人にはそのことが真理なのでしょう。ただし出ていくことができない人には苦しい者です。しかし、苦しみや嘲りの中でも主イエスさまの恵みを豊かに体験する恵みがあることも事実だということを知ってほしいのです。

私は以前の教会で教会員から馬鹿にされ蔑まれるという経験を嫌というほどしました。生活に苦しく着る物にも困っていたからです。「あなた着る物ないもの」鼻で嘲笑われました。出ていきたいと何度思ったことでしょう。その教会を出ていくこともできました。しかし、私には神さまの導きなしにしては勝手に出て行ってはいけないと思ったのです。

苦しく忍耐する時でしたが同時に自分の傲慢さ罪も知ることも出来たのです。自分の心の中にも馬鹿にしている人たちと同じ心があったのだと…。(けれどもDVや虐待などそういう事に我慢すること言っているのではありません。そのような時は忍耐してはいけません。私の母も私が幼い時DVを受けていました。このことは許されるべきことではありません。)

私が言いたいのはいかなる時でも神さまがあなたと共におられることを忘れてほしくはないのです。いかなる時でも神さまの導きを求めつつかつ大胆に慎重にあなたの人生を豊かに歩んでいってほしいと祈り願います。