100夢ノート

・2021年が始まった。今年はどんな年になるだろうか。神さまに信頼して歩んでいく一年になることを祈り願う。かつてお世話になった上司に言われた言葉を思い出す。その時から自分はクリスチャンだったので漠然とアメリカに行ってキリストの文化を見ることができたらいいなと思っていた。でも、そんなに強い思いはなかった。そのことを軽く上司に話したら、「アメリカに行きたいと願っているなら行けばいい。自分が願うことは実行しろ。誰もお前の願いはかなえてくれない。できるのは自分だけだ」。と

・今になって上司の言葉がよみがえってくる。自分の人生こうなったらいいなと思うだけで行動を起こさなかった。そこにはあきらめもあったのかもしれない。自分はこう願うけど現実は厳しい。時の流れに身をまかせて過ごしていくしかない。自分のやりたいことをやるわけにはいかない。周囲と衝突することを恐れていた自分がいた。

・もう何十年も前のことだがあるクリスチャンの方のブログを読んだ。この人は大変な状況のなかでこう思ったそうだ。「今まさにやって来ようとしている激しい患難の前に恐ろしい孤独と四面楚歌の中、一かけらの希望も見出せなかった時、ふとした事からノート一面に100の夢を描いてみようと思いついた。夢だからどんなでかい事でも良いと思うのだが、なかなか100もの夢は描けるものではなかった。そのメモの一つに『生きてて良かったと思う』というのがあった。」

・この方の証しを読むうちに夢を見ることの大切さ、日常のなかでの些細なことを夢として持ち続けることのすばらしさを知った。その人が書いた夢には「これからを思う」「愛する人をたくさんもつ」「映画を見る」。恵まれている人にとってはたわいもないことかもしれない。しかし、この時だからこそこの人の証しが私に力強く語りかけてきた。神さまが私に語りかけているのか。祈り願うことの大切さ。日常を神さまの愛で満たすことの大切さ。

・最後にこの方はふりかえって100個書いた夢が、半分も実現していること驚いた。と書いていた。私もこの一年、神さまから与えられた夢の一つ一つを大切にして日々を過ごしていきたいと思う。