礼拝メッセージ(2020年8月30日)

『 十字架の語ること 』  ヨハネによる福音書 19章:16b~27節  石井努 執事

 十字架刑の苦痛の中であっても、イエスさまは御自分の足もとに立ちつくしている母マリアに「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」また愛する弟子に「見なさい。あなたの母です。」と二人を結び合わせています。このお姿は、イエスさまを神と信じるわたしたち一人一人へのメッセージです。残されたわたしたちは、この世の法則に惑わされない神の国の家族なのだと言われているのです。人間イエスとしてお生まれになられた神が、見える形でわたしたちを神の家族であると言い残されたのです。あなたの隣にいる人はイエスさまを通して、わたしたちと結び付けられた母であり、息子であり、兄であり妹なのです。このように神の国の家族として、神の愛の内に支え合って生きなさいと言い残してくださったのです。

 ちょうど、教会学校で私たちが学んでいる聖書個所で出エジプト記の12章、過ぎ越しの時を迎えています。神はモーセを通して、それぞれの家の「鴨居と二本の柱に羊の血を塗りなさい」と命令しています。そうすることで「神の裁きはその家には及ばなかった。」と記されています。

 この出来事が私たちに教えているのは、イエス・キリストの十字架、流された血の示す意味ではないでしょうか。わたしたちが大切に守っている受難日、イースターは、ユダヤ教の人々が過越の祭りを守る時期と重ねています。一口にわたしたちは贖いの十字架と言いますが、「神は十字架によって死ぬべき現代の私たちを救ってくださっている。」この恵みをもう一度、自分自身のこととして受け止める必要があるのではないでしょうか。十字架の血が私たちにとって救いか、滅びかの分かれ目であるということです。イエス・キリストの流された血潮をわたしたちは、鴨居や柱と表現された、自分自身の中にある人生という住まいの門やそれぞれの道に架かる門に塗っているかどうかということ。「神の国はあなたがたの間にあるのだ」と言われるイエス様の言葉は、「イエス様が流された過ぎ越しの血潮は、今、あなたがたの心にその徴として生きているか?」という問いかけでもあるでしょう。キリストの血にあずかるものは確実に救われる。わたしたちは、選ばれた民、神のものとなった民です。それは、わたしたちを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業であり、わたしたちの希望であるでしょう。