礼拝メッセージ(2020年9月13日)

『 敵を愛する? 』  ルカによる福音書 6章:27~30節  林健一 牧師

 本日からイエス様は新たなテーマで弟子たちに語られます。私たちも気持ちを切り替えてイエス様の言葉に耳を傾けていきたいと思います。イエス様は大事なことを語ろうとするまえに「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。」と前置きのような言葉を聞いている弟子たち、人々に向けて語られました。「わたしの言葉」とは何の言葉でしょうか?弟子たちはいったい今までイエス様の語られる何の言葉を聞いてきたのでしょうか?それはこの礼拝でイエス様の言葉を聞いている私たちにもイエス様が投げかけられている言葉です。

 イエス様が弟子たちに言われたのは「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」若干言葉は違いますはマタイにも同じイエス様の言葉が出てきます。これは有名な「愛敵の教え」です。「愛しなさい」「親切にしなさい」「祝福しなさい」「祈りなさい」とイエス様は聞いている弟子たちに命令します。これらのイエス様の命令の言葉は複数形と動作の継続をあらわしています。イエス様の言葉を信じる者たちはイエス様の言葉ゆえにこの世の人たちから私たちは敵とみなされ、憎まれ、悪口を言われ、侮辱されるのです。イエス様はそのような行いをする人たちに対して復讐してはならないと言われます。

 「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。…」イエス様が語るこの言葉の裏には当時の人々の姿を垣間見ることができます。相手を見くだし優劣をつけようとする何もない人間の姿。相手から侮辱されることを恐れて何とか相手より優位に立とうとして先に相手を攻撃しようとする姿。相手に馬鹿にされるのを嫌い謙遜になることを嫌う姿。

 弟子たち、そして私たちに語られたイエス様の言葉、それはイエス様ご自身そのものでありイエス様が私たち人間から受けたあらゆることへの愛の応答だということを私は教えられます。イエス様は敵であった私を愛してくれました。悪口、呪いの言葉を言った私を祝福してくださいました。イエス様を侮辱した私を祈ってくださいました。イエス様の頬を打った私に悲しみが癒えないなら気が済むまで私を殴りなさいと殴られ続けてくださいました。裸になったイエス様は私が着物を着ている姿を見てよかったと言ってくださいました。求める私にすべてを与え、それでも足りないからとすべてのものを奪い取ろうとした私にすべてのものを与えてくださいました。そうではないですか?イエス様の十字架はイエス様の持っているすべてを私たち罪人に与えてくださった事実の証です。