礼拝メッセージ(2023年3月5日)
『 イエスの血による新しい契約 』 林健一 牧師
ルカによる福音書 22章:19節~20節

22章 19節:それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」

22章 20節:食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。

ルカによる福音書 22章:19節~20節(新共同訳)

 主イエス様の十字架の苦しみと死とによって、つまり主イエス様が過越の小羊として死んで下さることによって、今や過越が成し遂げられ、神様による救いのみ業が実現しようとしています。その救いの恵みに弟子たちを、そして私たちをあずからせるために、主イエス様はこの過越の食事の席で、パンと杯を取り、それに特別な意味を持たせて分け与えて下さいました。それが本日読みました19節以下に語られていることです。


 20節にはこうあります。「食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である』」。この杯はぶどう酒の杯です。そのぶどう酒が、「あなたがたのために流される、わたしの血」という特別な意味を与えられています。主イエス様の血が、罪に支配されてしまっている人間の救いのために流されるのです。過越の小羊の血が目印となってイスラエルの民の初子の命が守られ、エジプトからの解放が実現したように、主イエス様が十字架にかかって血を流して死んで下さることによって、罪の支配からの解放、赦しという救いが実現するのです。この杯から飲むことによって、その救いにあずかることができるのです。


 「わたしの血による新しい契約」と言われていることにも注目しなければなりません。聖書における神様とその民との関係は契約の関係です。契約において血が注がれるのは、この契約を破ったら命を取られてもよい、ということの印です。つまり契約を結ぶというのは命がけのことなのです。そういう契約を神様はイスラエルの民と結んで下さいました。その「旧い契約」について語っているのが旧約聖書です。そして今、主イエス・キリストの血が十字架で流されることによって、神様は「新しい契約」を結ぼうとしておられるのです。それは主イエスが血を流し、命を注いで与えて下さる契約、主イエスが命がけで打ち立てて下さる、神様と民との新しい関係です。


 弟子たちのためにあの過越の食事を準備し、そこに彼らを招き、そしてご自分の十字架の死による過越の完成にあずからせるためにパンと杯を聖別して与えて下さった主イエス様が、今私たちをも、主の食卓へと招いて下さっています。その招きは、主イエス様が命がけで打ち立てて下さった新しい契約への招きでもあります。私たちはこの招きにきちんと応えなければなりません。きちんと応えるというのは、清く正しい立派な人間になることではありません。むしろ、自分が招かれるに相応しくない罪人であることをわきまえることです。その罪人である私のために、主イエス様がまことの過越の小羊となって、私の全ての罪を引き受けて十字架にかかって死んで下さったのです。この主イエスの死に免じて、神様はこの私の罪を赦し、新しい神の民として生きることへと招いて下さっているのです。